2013年10月25日(金曜日)

秘密保護法案の危険は「知る権利」の侵害だからダメ、という議論でいいのだろうか?

カテゴリー: - katsumi @ 23時39分10秒

安倍内閣は本日、秘密保護法案を閣議決定したというニュースを聞きながら、この問題が浮上してから気にかかっていたことを、あらためて考えてみました。

 

気にかかっていたこととは、秘密保護法案が「知る権利」、「報道の自由」を侵害するものであり、だからダメなのだという議論でいいのだろうか、ということです。

 

「知る権利」や「報道の自由」が基本的人権の規定から当然に構成される憲法上の重要な権利であることを認識している人たちにとっては、その論理でいいのです。

 

「報道の自由」は報道関係者にとっては直接に自らの立場に関係する問題として実感できるでしょう、しかし「報道の自由」が自分にとって重要なものなのだと認識することは、それなりに問題意識をもたなければできないのではないでしょうか。

 

「知る権利」もそれと同じではないかと思います。

 

政治や行政に関する情報を「知りたいと欲する人」や「知ろうとする人」にとっては、「知る権利」が保障されないことは耐え難いことです。

 

しかし、その立場に立たない人にとっては、「知る権利」は他人事にすぎないでしょう。

 

重大なことは、秘密保護法案がつくりだす事態は、「知ろうとする人」「知りたいと欲する人」だけの問題ではないということです。

 

そうした問題意識を持たない人たちをも処罰対象にしますし、秘密とされる情報は軍事と外交にとどまらないことは、例えば原発に関わる情報も対象になることが政府関係者から明言されているように、恣意的に拡大され、国民生活のあらゆる分野に及ぶということです。

 

そのことの理解を広げるという観点から考えると、「知る権利」の侵害だからダメ、という訴えだけでは十分ではないと思うのです。

 

秘密保護法案の最大のポイントは、権力者がもつ情報を国民に対して秘密にするということ、都合の悪いことは秘密にできるということ、都合が悪かろうがそうでなかろうが権力者の独断で秘密にすることができるということ、ここに問題の根本があるということではないでしょうか。

 

「知る権利」「報道の自由」などより前に、権力は国民に対して秘密を持ってはいけない、ということが、国民主権の原理から当然ではないでしょうか。

 

立憲主義の民主主義国家においては、権力は国民のしもべであって、その逆ではありません。

 


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